新連載

【新連載】子どもの「いのち」を守る幼児期の性教育〜「まだ早い」ではなく「今だからできること」〜   4 回シリーズ(1)

京都あいこ助産院院長・株式会社PLATICA代表取締役 渡邉安衣子

 「性教育」と聞くと、まだ幼児期の子どもには早いのでは…と思われる方も多いかもしれません。けれども、現代の子どもたちの暮らしを見てみると、そうは言っていられない現実があります。

 たとえば、保護者や兄姉のスマートフォンを借りて遊ぶこと。SNS やYouTube を一人で見ていて、思いがけず過激な映像に触れることもあります。内閣府の調査(2023年)によれば、小学生の約6 割が低学年のうちからインターネットを利用し、未就学児でもすでに3割近くが使っていると報告されています。幼稚園児だから安心、という時代ではなくなっているのです。

 さらに怖いのは「知らない人に気をつけなさい」だけでは守れないこと。警察庁「令和5 年版犯罪白書」では、幼い子を狙った性犯罪の加害者の7 〜8 割は顔見知りだったと示されています。信じていた相手から傷つけられることがあるからこそ、子ども自身が「いやと言っていい」「自分の体は大切」と思える力を持つことが大切です。

 ユネスコが発行する「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(2009年/2018年改訂)でも、5 歳からの子どもに発達に応じた性教育をすすめています。ここでいう性教育は、思春期や性行為のことだけではありません。人との関わり、境界線、同意、SOS の出し方、ジェンダーや多様性の理解…すべてが『生きる力』に直結することばかりです。そして世界的な研究でも、そのような包括的な性教育を受けた子ほど性に慎重になることが確かめられています。では、幼稚園でできることは何でしょうか。特別なカリキュラムを用意する必要はありません。着替えのときに「人の体はみんな大切だから、じろじろ見ないようにしようね」と伝えること。遊びの中で友達に「いや」と言った子を「そうだね、いやなんだね」と受け止めること。男の子がスカートをはいて遊んでいる姿をからかう声があがった時には「好きな遊びはだれでもしていいんだよ」と伝えること。こうした日常のやりとりこそが、子どもにとっての大事な性教育になります。

 保護者からも「子どもが性器を触って困る」「どう答えたらいいかわからない質問をされる」という声が寄せられます。「『恥ずかしいから隠す』『黙らせる』といった対応は、子どもに『体は恥ずかしいもの』『性は聞いてはいけない』と伝わってしまいます。性教育は恥ずかしいことでも特別なことでもありません。自分の体を大切にし、友達の体も大切にできる気持ちを育てることは、子どもにとって大切な権利につながります。

 残念ながら日本では「性教育」という言葉に偏見が残っていますが、本来は「自分も友達も尊重しながら生きる力」を育てる学びです。その始まりが、まさに幼児期。先生方のちょっとした言葉がけで、子どもは「自分は大事にされている」と感じ、その積み重ねが未来の安心や自信になっていきます。「性教育=人権教育」という視点を出発点として、4 回の連載を通して、一緒に考えていきましょう。