京都あいこ助産院院長・株式会社PLATICA代表取締役 渡邉安衣子
文部科学省が2020年度から全国で推進している「生 命(いのち)の安全教育」をご存知ですか?性暴力か ら子どもを守るためのプログラムで、子どもが自分の 体や心を大切にし、困ったときに「助けて」と言える 力を育てることが重視されています。小・中・高校だ けでなく、幼児期からのプログラムもきちんと用意さ れています。
性暴力から子どもを守るには、「知らない人につい ていかない」という教えだけでは不十分です。加害者 の多くは顔見知りの大人や身近な存在で、雑談や特別 扱い、プレゼントなどを通して信頼を得てから少しず つ境界線を超えていきます(こうした行為は「グルー ミング」と呼ばれます)。だからこそ、「水着で隠れる 部分だけがプライベート」という教え方では、子ども を守りきれません。
ユネスコの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』 には、「自分のからだに、誰がどう触れるかを決める 権利は自分にある」と明記されています。一部のパー ツを限局することなく、子どもの体全部が “自分の大 切な場所” であり、触れていいかどうかを決めるのは 本人。大人はその気持ちを守る存在でありたいですね。
実践の第一歩は、日常の中で「いや」と言える経験を積み重ねることです。
たとえば、先生や保護者との「こちょこちょ遊び」。 子どもが笑いながらでも「やめて」と言ったら、すぐ にやめる。そうすることで、「NO は尊重されるもの」 という体験が残ります。遊びの中でふざけ合いながら でも、相手の「いや」を止める姿を見せることが、子 どもの安心につながります。
また、先生方自身が子どもの「いや」を受け止める 姿勢を示すことも大切です。「そんなこと言わないの」「どうして?」とすぐ諭すのではなく、「そうなんだね、 いやだったんだね」と受け止める。たったそれだけで、「この園では『いや』を言っても大丈夫なんだ」とい う安心感が生まれます。迷っているときの「うーん…」 や表情の変化も「NO」と同じように尊重していきま しょう。
日本では「相手に悪い」「我慢するのがえらい」と 教わることが多く、つい「断る」ことに罪悪感を抱き がちです。けれども、毎日のやりとりの中で「いや」 を伝えたり、受け止めたりする経験を重ねること。そ の小さなコミュニケーションの積み重ねこそが、子ど もを守るいちばんの防犯になります。
絵本や動画を活用するのもおすすめです。『はじめ にきいてね こちょこちょモンキー』(大日本図書)は、「いや」と言ったら止める、を楽しく伝えられます。 海外の教育動画 “Consent for Kids”(YouTube)も、 子どもにわかりやすく「同意(Consent)」を学べる 内容です。こうした教材を通して、職員研修などで大 人も「子どもの人権」について考えるきっかけにして いただければと思います。
性教育は特別な時間だけで行うものではなく、毎日の関わりの中で育っていくもの。子どもの「いや」を尊重し、大人も「いや」と言える社会をつくること。その積み重ねこそが、子どもの命と心を守る確かな力になります。
京都あいこ助産院院長・株式会社PLATICA代表取締役 渡邉安衣子
「男の子なのに泣かないの!」「女の子が戦いごっこなんてしないのよ!」
先生方も、こんな言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。幼稚園の生活の中には、子どもたち自身ではなく、大人の目線がつくり出す「男らしさ」「女らしさ」が入り込んでしまうことがあります。
私たちは無意識のうちに性別による思い込みを持っています。たとえば「男の子は強い・泣かない」「女の子はやさしい・控えめ」といったイメージです。こうした“ジェンダー” は、生物学的な性別とは別に、社会や文化がつくり出した役割やイメージのことを指します。だからこそ、大人が気づき、学び直すことで、子どもたちがのびのびと「自分らしさ」を育てていける環境をつくることができるのです。
園生活の中を見渡すと、意外なところに「性別の枠」が潜んでいます。
・列をつくるときに「男女」で分けてしまう
・ 持ち物や名札の色を「男の子は青」「女の子は赤」
と決めている
・劇遊びで役を性別ごとに振り分ける
もちろん効率を考えると便利に思えることもありますが、同時に子どもの自由を狭めてしまう場面にもなり得ます。たとえば男の子がスカートをはいて楽しそうにしているときに「変だよ」「笑われちゃうよ」と言われたら、心は傷ついてしまいますよね。反対に「好きな遊びは誰でもしていいんだよ」と伝えてもらえたら、安心して自分を表現できるはずです。
調査によれば、性別に違和感を持つ子どもの56.9%が「小学校入学前にすでに感じていた」と答えています(中塚,2017)。「そんなのダメ」と否定され続けると深い傷につながりますが、逆に「好きなことをしていいんだよ」「困ったときは大人に話してね」と伝えることは、その子の心を守る力になります。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』(2018年改訂)でも、ジェンダー平等は包括的性教育の大切な柱のひとつとされています。幼児期から「性別で役割を決めつけない」「多様性を認め合う」ことを伝えることが、子どもの安心や社会での生きやすさにつながるのです。
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実践のヒント
・並び方を工夫:必要でないときは男女で分けな
い
・配役を工夫:劇遊びの役は、立候補を大切にして決める
・色の固定観念を崩す:色は自由に選べるようにする
・声かけを工夫:「男の子だから泣かない」ではなく「泣いてもいいんだよ、気持ちを大切にしようね」
・自己決定を尊重:「やりたい」「やめたい」と言える場面を増やす
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保育者にできることは決して特別なことではありません。日常の中で「性別で分ける」習慣を見直し、子どもが自分の好きや気持ちを安心して表現できるように寄り添うこと。それだけで子どもは「自分らしさ」を堂々と大切にできるようになります。先生方の小さな工夫や声かけが、子どもの未来を支える大きな力になるのです。
参考・引用
・封じ込められた子どもその心を聴く〜性同一性障害の生徒に向き合う 中塚幹也著 ふくろう出版
・国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】 ユネスコ編、浅井春夫ら訳 明石書店
京都あいこ助産院院長・株式会社PLATICA代表取締役 渡邉安衣子
「性教育」と聞くと、まだ幼児期の子どもには早いのでは…と思われる方も多いかもしれません。けれども、現代の子どもたちの暮らしを見てみると、そうは言っていられない現実があります。
たとえば、保護者や兄姉のスマートフォンを借りて遊ぶこと。SNS やYouTube を一人で見ていて、思いがけず過激な映像に触れることもあります。内閣府の調査(2023年)によれば、小学生の約6 割が低学年のうちからインターネットを利用し、未就学児でもすでに3割近くが使っていると報告されています。幼稚園児だから安心、という時代ではなくなっているのです。
さらに怖いのは「知らない人に気をつけなさい」だけでは守れないこと。警察庁「令和5 年版犯罪白書」では、幼い子を狙った性犯罪の加害者の7 〜8 割は顔見知りだったと示されています。信じていた相手から傷つけられることがあるからこそ、子ども自身が「いやと言っていい」「自分の体は大切」と思える力を持つことが大切です。
ユネスコが発行する「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(2009年/2018年改訂)でも、5 歳からの子どもに発達に応じた性教育をすすめています。ここでいう性教育は、思春期や性行為のことだけではありません。人との関わり、境界線、同意、SOS の出し方、ジェンダーや多様性の理解…すべてが『生きる力』に直結することばかりです。そして世界的な研究でも、そのような包括的な性教育を受けた子ほど性に慎重になることが確かめられています。では、幼稚園でできることは何でしょうか。特別なカリキュラムを用意する必要はありません。着替えのときに「人の体はみんな大切だから、じろじろ見ないようにしようね」と伝えること。遊びの中で友達に「いや」と言った子を「そうだね、いやなんだね」と受け止めること。男の子がスカートをはいて遊んでいる姿をからかう声があがった時には「好きな遊びはだれでもしていいんだよ」と伝えること。こうした日常のやりとりこそが、子どもにとっての大事な性教育になります。
保護者からも「子どもが性器を触って困る」「どう答えたらいいかわからない質問をされる」という声が寄せられます。「『恥ずかしいから隠す』『黙らせる』といった対応は、子どもに『体は恥ずかしいもの』『性は聞いてはいけない』と伝わってしまいます。性教育は恥ずかしいことでも特別なことでもありません。自分の体を大切にし、友達の体も大切にできる気持ちを育てることは、子どもにとって大切な権利につながります。
残念ながら日本では「性教育」という言葉に偏見が残っていますが、本来は「自分も友達も尊重しながら生きる力」を育てる学びです。その始まりが、まさに幼児期。先生方のちょっとした言葉がけで、子どもは「自分は大事にされている」と感じ、その積み重ねが未来の安心や自信になっていきます。「性教育=人権教育」という視点を出発点として、4 回の連載を通して、一緒に考えていきましょう。
京都府・京都市スクールカウンセラー臨床心理士 大下 勝
これまで私自身の小中高のカウンセリング活動を振り返って、幼児期の子どもへの関わりにおいて大切なことをお伝えしてきました。最後となる今回は、不登校と幼児期の体験についてお話したいと思います。不登校はずっと教育現場での大きな課題となっていますが、不登校とは何なのでしょうか、どうして不登校が起こってしまうのでしょうか。
まず、現在の不登校対応は学校に登校することを絶対と考えずに子どもに寄りそった方法と環境で教育的支援を行う方針に変化してきています(文部科学省生徒指導提要2022年12月)。そして現場の声として、学校を休みがちの子どもたちからは、友だちとうまくいかなくて居場所がない、学校のルールがどうしても苦痛に感じる、勉強が全くわからなくてつらい、周りと同じようにできないのがつらい、親や先生が自分のしんどさをわかってくれないなどの悲鳴と言っていい困りや苦しさをよく耳にます。その背景には、性格特性や愛着課題、家庭環境、周りの理解不足などが影響している場合があり、発達や学習において診断がでるレベルのものもあります。これらは子どもたち自身ではどうすることもできないものが多く、自分自身のこととしてこれからずっと抱えて生きていくしかない重大な課題がほとんどです。ですので、周りの支援が本当に大切になります。そしてそのためには、子どもが自分の困りの核心に気づいて、それを隠さずに周りに相談する必要があります。しかし、これは簡単なことで
はなく、とても怖いことと感じる子どもが多いようです。私見ですが、不登校とは、学校における困りにうまく対処できず、適切な支援もなかったため、子どもが自らを守るための最後の手段として選択した行為であると言えます。このように考えると、不登校はあくまで結果であり、それ自体に良し悪しはありません。
「不登校はよくないので、学校行きなさい」と強く言っても子どもは動けないのです。子どもの困りとその背景を理解し、子どもに合った対応を考えないと意味がないことが良く分かると思います。国の方針もそのように変化しつつあるのではないかと考えます。
幼児期は以前の掲載でお伝えした通り、言葉を覚えはじめるとても重要な時期です。感じているものを言葉で表現する練習や、安心できる環境で、正しいとか間違っているとかを気にせずに自分の思いを話せることが大切です。その体験がきっと怖がらずに周りに頼ってもいいと思える子どもの感覚につながっていくと思います。
子どもたちが未来の課題を乗り越えるために、今体験してほしい大切なことをお伝えしてきましたが、いかがだったでしょうか。あまり具体的ではなかったかもしれませんが、子どもとの関わりの軸となる姿勢についてはお話できたかと思います。少しでも教員の先生方の一助になれれば幸いです。貴重なお時間をありがとうございました。
京都府・京都市スクールカウンセラー臨床心理士 大下 勝
スクールカウンセラーとして学校現場で勤務していますと、先生方から子どもの問題行動に関する相談を受けることがあります。例えば、授業中立ち歩く、よくトラブルを起こして暴力をふるう、自分の良くなかった行動を認めず絶対謝らないなどです。子どもの成長過程では経験不足によって問題行動が起こることはよくありますが、何回注意しても変化がない場合は、子ども自身もうまくコントロールできずに困っていることが多いです。同じことを何度も繰り返しますので、感情的な対応になってしまうこともあるかと思います。
そして、子ども自身を否定するような関わりを多くしてしまうと問題行動がさらに悪化することがあります。本当は本人自身が困っているのに、繰り返し否定され続けると、「自分はダメな人間だ、どうせがんばってもできない」と思うようになり、自尊心や自己効力感が低下していきます。この状態になると回復するのにかなり時間がかかることが多いので、問題行動が多い子どもには慎重に対応する必要があります。
では、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。人にはそれぞれ生まれ持った個性があり、様々な性格特性があります。その特性が日常生活を問題無くおくれるものであればいいですが、偏りが大きい場合は本人も周りの人も大きな困りを抱えることがあります。特に幼稚園から小学校にかけては、ルールが増えてきて、性格特性が原因で適応できなくなる子どもが出てきます。困りがあまりにも大きい場合は、医師により診断がおりることもあります。ここで特に注意したいことは、診断は本人にレッテルをはるものではなく、本人を理解する助けになるものでなければなりません。言い換えると、診断がでるほど本人は困っているので、周りがしっかり配慮する必要があるということです。さらに、育った環境によっては、愛着課題を持つ子どももいます。生まれ持った性格特性とは違うのですが、同じような問題行動を起こします。ただ、性格特性が原因の場合は本人にあった環境に調整することで、ある程度落ち着くと言われていますが、愛着課題の場合は、違う問題行動に変化したり、大人を振りまわすようなお試し行動が起こったります。これら性格特性と愛着課題に関してはかなり専門的な内容になりますので、可能ならキンダーカウンセラーなどの専門家に相談されることをお勧めします。
幼稚園の先生方におかれましては、すでに専門書や研修等で幼児期の子どもの理解や対応について幅広く学ばれていることと思いますが、実際にはなかなか難しいケースも多いのではないでしょうか。そういったときに今一度、「子どもの言動には必ず背景があり、理由がある、子ども自身が困っている」ことを再確認していただけますと、(前回の会報でお伝えしたように)子どもの言動は注意したとしても、子ども自身がしっかり受けとめられたと感じる関わりができるのではないかと思います。
京都府・京都市スクールカウンセラー臨床心理士 大下 勝
学校カウンセリングでは、親と子どもの話を別々に 聴くことがあります。その中で何回か経験したことで すが、親は「子どもにどう考えても正しいことを話し ているのに、全く伝わりません」と困りを訴え、子ど もは「親は私の話を全く聴いてくれない、私のことを 全く分かってくれない」と憤っています。親の話をさ らに聴いていきますと、子どもの言動について、間違 っていることや正しい考え、適切な行動を何とかして 子どもに教えたいという強い思いがあることが分かり ます。一方、子どもの話を深めていきますと、自分の 感じたことや考えたことを親に分かってほしい、自分 という存在をそのまま受け容れてほしいという切実な 思いがあることが分かります。これは教員と子どもで も起こることがあります。どちらも大切な思いですが、 多くの場合は、大人が子どもを注意することになり易 く、分かってもらえないという不全感が子どもに生ま れます。お互い感情的になり関係が悪くなる場合もあ ります。カウンセラーとしては、どちらの思いも大切 なのに、本当に悲しいすれ違いだと思います。
さらに、子どもが分かってもらえないと感じる体験 を多くしますと、「大人に話しても意味がない、どう せ聴いてもらえない」と大人に強い不信感を持つこと があります。こうなると、子どもだけで解決できない 問題が起こっても大人に相談しないですし、大人に反 抗的な言動が目立つようになります。自分の部屋に閉 じこもったり、ネットの世界にしか居場所を見つけら れなかったりする場合もあります。長い目で見ると意 味があるとも言えますが、大人も子どももかなりつら い体験になります。
では、どうすれば子どもの思いを大切にしながら、 正しいことを伝えられるのでしょうか。それは、会話に「主語」と「動詞」をしっかり付けることです。例 えば、子どもが「勉強したくない、しても意味が無い」 と言い、「何言っているの、勉強しないと将来困るわよ、怠けずちゃんとしなさい」と返すと、子どもの思いを 否定することになります。「主語」と「動詞」を付け ると、「あなたは勉強したくないと思っているのね、 そして勉強しても意味がないと思っているんだね、でも、お母さんは勉強することに意味があると思ってい るよ」と返すと、子どもの思いを否定せずに、正しい ことを伝えることができます。本来は、それぞれ個人 が思っていることですが、「主語」と「動詞」を省略 すると内容が一般化されて範囲が広くなり、反対の内 容を全て否定してしまいます。多くの場合は、これが 原因ですれ違いが起こっています。
幼児期では、まだ言葉がうまく使えず、多くのすれ 違いが起こり易い時期です。優しい雰囲気で正しいこ とを伝えるだけでなく、「あなたは、そう思ったのね」 と子どもが伝えたいことをしっかり受けとめていただ ければと思います。それは、思っていることを大人に 伝えてもいいという経験になりますし、子どもにとっ てそのまま受け容れてもらえる安心で安全な環境であ ると言えるでしょう。

女の子が園庭の 隅に作った小さなお やま。せっせせっせ ポンペンペン! とも だちもどんどん加わって、 せっせせっせ せっせせっせ ポンペンペン! おやまは どんどん大きくなります。
町の人や動物たちも加わって…。
繰り返しのリズムが心地よく、年齢問わず楽しめる作 品です。細かく丁寧に書かれた絵は見返すたびに「こんなところにこんな子がいる!」「生き物もいた!」「何の お仕事をしている人かな?」と何度も楽しめます。
同志社幼稚園 伊澤 香那
京都府・京都市スクールカウンセラー臨床心理士 大下 勝
私は、幼小中高のカウンセラーとして縦断的に子ど もの成長に 20年以上関わってきました。本掲載では、その体験を通して幼児期の子どもへの関わりにおいて 大切なことをお伝えしたいと考えています。
子どもの悩みは様々ですが、その背景には必ず人間 関係があり、それぞれの感情や思いがすれ違ったり、ぶつかったりしています。カウンセリングでは、そういった感情や思いをさらに深めて整理し、悩みとどう 向き合うかを一緒に考えていきます。その過程において、とても大切なことがあります。それは、自分の心や身体が感じているものに気づいているかどうか、言葉として認識して表現できるかどうかです。自分の感じているものを言葉として認識していないと、考え無しに行動してしまうこともありますし、振り返って考えることも深めることもできません。カウンセリングに限らず、感じているものを言葉で表現できる能力が 育っているかどうかは、人生の豊かさや生き易さに大きく影響します。
例えば、学校ですごくまじめで人に優しくできる子 どもがいました。大人から見ても理想的な子どもです。 そのような子どもが突然体調不良になり、不登校にな ることがあります。その子の場合は、まじめ過ぎるが 故に、大人が期待する行動を優先し、自分が本当はど うしたいのか気づけなかったので、ストレスで体調不 良になっていました。 また、生まれ持った性格特性があり衝動的に行動し 易い子どもがいました。自分の今感じているものに意 識を向ける前に行動してしまい、いつも注意されてばかりで学校が嫌になり、大人に反抗的な態度を取るよ うになっていました。他にも似たような事例を多く経 験してきましたが、それらの課題に本人が向き合っていくには、自分の感じているものを言葉で表現できる ことがとても重要でした。
言葉は 1 歳前後から話し始めると言われていますが、まさに幼児期に基礎となる大量の言葉を獲得していき ます。そして、子どもが心と身体で感じているものを どの言葉で表現すればフィットするのかの試行錯誤も この時期に多く経験しています。例えば、子どもが園 庭に咲いているお花を見て何かを感じている、そのと きに教員が「きれいだね」と微笑む。おもちゃの取り 合いになって泣いている子どもに「悲しいね」と声を かける。夢中で絵を描いているときに「楽しそうだね」と一緒に笑う。もちろん、本人がどう感じているかを尊重する必要はありますが、最初は感情を表現する言葉を積極的に伝えていいと思います。何か違ったら本人の表情に出ると思いますし、そういった経験の中で フィットする言葉を本人が選択していきます。
幼児期は、自分の言いたいことを言葉で表現できる ようになって嬉しくて仕方ない時期だと思います。幼稚園の先生方には、そのような積極的に言葉を獲得するタイミングに「感じているものを言葉で表現する」 体験を特に意識して関わって頂ければと思います。それは子どものこれからのより良い人間関係の一助にな ることと思われます。
元立命館大学 教授 幼稚園協会特別支援教育研究会 顧問 朝野 浩
「遊び」と大人とのかかわり方について、問題提起をした形で、前号は終りました。さて、先日、個別相談訪問である 園の事後相談が終り、外も暗くなり帰路に着こうとした折に、 幾人かの園児が残っていることに気づきました。子ども園に なってから、朝は8時前から夕方は閉園ぎりぎりまで預かっておられるとのこと。 お母さんがお迎えに来て、帰宅して、 夕食の準備と食事を済ませ、入浴をして就寝させ、朝の当園までの1日の循環を考えると、親子のかかわりの時間だけでなく、保護者間の時間も少ない状況と考えます。働き方改革が言われていますが 、「 豊かな生活 」 と は程遠い環境が幼児の状況にあります。幼稚園教育要領の中に「環境」という 語句があります。幼児を取り巻く周囲の環境の大切さとその 影響があるということです。
近年の状況から SNSの影響は多大なものがあると考えます。NHK 番組「チコちゃんに叱られる」で親子が生涯で一 緒に過ごせる時間について実 態報告( 解説 : 保田 時男 ・ 関西大学)がありました。『わが子と生涯で一緒に過ごす時間』 についての研究報告では、母親は約7年余りで、父親はそ の半分以下の約3年で、親子が一緒に過ごせる時間は約9 年ばかりとなります。平日1日に親子が一緒に居る時間は約 3時間になるということです。現代の保護者は忙しいので、 SNS や YouTube、TV を話相手の代わりに利用することがあると思います。親子の触れ合いから生まれる子どもの情緒 の発達やことばの獲得や言語能力などを考えると、ソーシャルメディアでは親の代わりにはなれないと分かってはいても、 子育てや家庭のあり方について多様な価値観があります。そ こで1日の多くの時間を過ごす幼稚園での生活の中身がます ます重要になり保育者のかかわりが 効果をもたらす可能性が高くなります。この中で、先生方や保護者からの相談の多いのが「ことばの発達」の問題です。よく「ことばのシャワー」 の重要性が言われますが、ソーシャルメディアによる機械的 なシャワーでは効果がないことは先人の研究から分かってい ます。子どもに向かって話しかける人は、生身の人間でないと効果がありません。
この向かい合う「対話」の形でのことばの量が大切です。 そこで気になるのが、子どもたちの好きな「絵本の読み聞かせ 」 活動です。 どの 園でも見受けられる光景ですが 、 意外と活動の進め方など画一的な感じを受けます。お帰りの前の 集会の一環として行われるものや設定保育の中のものでも、 保育者と子どもたちとの生き生きとした対話が少ないのです。 しかし、子どもたちは目をキラキラ輝かせ聞き入っており 、ASD の子どもたちも一番前や立って保育者に近づいたりし ながら絵本に見入っています。そこで、子どもたちに「くまさんは何をしているのかな」「赤いチューリップはいくつある」 など、Yes や No で答えられる質問でなく、ことばで返す会 話をしながら読み聞かせをする「対話的読み聞かせ」(小野 雅裕・慶応大学)を積極的に遊びの要素を入れ、保育者に は是非行って欲しいものです。このことが非認知的能力を育 てるとともに語彙力や表現力などの言語能力を向上させ、子どもたちの生活に反映すると多くの研究事例にあります。ここ10年以上、京都市私立幼稚園協会特別支援教育研修・ 研究にかかわり、その変容ぶりに驚かされてきました。その 思いの一端を文章にしましたが、問題提起とお受け取りください。
3ヵ月にわたるリレー掲載の最後に当たり、先日亡くなられた谷川俊太郎氏の詩集より、『どんなに目をみはってもみらいは見えないのにこどもらの体の中に明日は用意されている』をまとめにかえ終ります。駄文にお付き合いいただき感謝します。
元立命館大学 教授 幼稚園協会特別支援教育研究会 顧問 朝野 浩
前回取り上げました幼児期の「遊び」ですが、子ど もの発達を促すうえでは重要な活動です。人として生 きる上での運動能力や言語能力また協調性や自分自身 が分かるなどの非認知的能力を獲得するには大事な活 動です。自由度の高い遊びの中に、次の様々な機能の 発達を促すものが含まれます。ヒトは、他の哺乳動物 に比べ、脳の成熟を待たず一年早く「生理的早産」として社会に出てきます。そのため温かい保護が必要で、 小さく、可愛い存在として認識されます。
私は研修会担当として、常々先生方に言い続けていることがあります。「幼稚園や保育園に毎日通ってくる子どもたちは、まだこの世に生を受けて、高々2年や3年そこらですから、先生の言うことなど分からなくって当たり前なんです。」「ただいま色々なことを試しながら獲得中です。」保育者は、自分をスタンダードとせずに、子どもは、遊びを通して何かを学び、遊ぶために遊ぶものだと考えて欲しい。世界中のほとんどの国が、6年ほど経てば、学校という遊びから離れた別の抽象的な世界へと子どもたちを導きます。この6年ほどの間に、「脳の生理的成熟」をしなければなりません。遊びを通した多くの体験や経験から「気づき」や「失敗と成功体験」を自分自身の可能性とともに蓄積していくのです。
一般に幼稚園では、設定保育以外は基本「自由遊び」 が中心となっていると考えます。保育者は、子どもたちの自発的な活動を見守ることが大きな仕事になって いると見えますが、ASD などの子どもたちにとっては、一番苦手な時間です。彼らは、この時間をどの様に過ごしてよいかわからない課題性を持っている子ど もたちです。それでは、この「遊び」を中心とした活 動において、ASD の子どもたちも含めて、子どもたちは、どのような体験を通して何を発見し、何に気づき、経験として学習し、次の機能を獲得するのでしょうか。
一方、同じ遊びでも、特別支援教育、知的障害者を 教育する場合においては、「遊びの指導」という指導の形態があります。知的障害を伴う児童生徒に対して、特に必要あれば領域・教科を合わせた指導として遊びの指導を子どもの発達を促す大切な活動として、年齢が上になっても中核的な学習活動として教育課程に位置付けて行われます。他の児童生徒とのかかわり方や身体的な活動を通して意欲の向上を図ることをねらいとした、意図的計画的指導が行われます。学校生活全体を遊びを通して学び、遊びそのものを学ぶということを大人の介在で行います。幼稚園での自由遊びとは、似て非なるところがあります。
幼稚園教育では、子どもにとっての遊びは、ただ単に遊具や追いかけあいなどで運動機能を高めることや友達とのかかわり方から社会性を高めるという目的だけで遊ぶわけでもありません。遊びそのものを楽しむことが中核になるはずですが、個別指導訪問で子どもたちを観察していると、発達年齢に見合った遊びが少なくなってきている感じがします。年長になれば、協力して何かを作り上げるとか、自分たちでルールを決めて活動をするとかという連合遊びや協同遊びがあまり見受けられません。教室の中でも、同じ場所に居て、同じブロックや積み木を扱っていても並行遊びのような別々にモノを作るということが多く見受けられます。
こうした現象は、テレビゲームやタブレットなどのソーシャルメディアで仮想の映像を相手に一人遊びが多くなっていることが影響しているのでしょうか。それとも子どもにかかわる保護者、保育者、大人のかかわり方の問題なのでしょうか。